小林響の写真集tribeは1998年、ニューヨーク、パリ、東京で世界同時出版された。アートディレクションはファビアン・バロン、序文は写真家のピーター・ビアード、斬新で画期的なデザインと100点にも及ぶ失われつつある二十世紀末の世界の少数民族のポートレイト、世界のメディアはこの稀有の作品に対して一斉に反響した。

It took Hibiki Kobayashi 10 years to find and shoot the vanishing clans in Tribe. The result is striking, raw, but ultimately dismaying. The tribesmen are our living ancestors. Yet in more than 100 stunning images, the photographer captured few smiles. Either they are terminally unhappy, or Hibiki Kobayashi is trying to pull our heartstrings a weak move for an artist of his caliber. by Kevin Giordano VIVE

Japanese photographer Hibiki Kobayashi began taking pictures of tribal peoples while visiting Africa in 1990, and now, 3000 portraits later, he has published Tribe (Powerhouse, shot in Nepal, Kenya, Thailand, Yemen and other countries). Kobayashi’s vivid, exquisitely rendered portraits are stark in their differences and detail. The lack of explanatory text seems to emphasize the distinctive traits of each group, but also to suggest that this distinctiveness won't last too long. The results are moving, without being condescending. by Meredith Kahn Harper's BAZAAR

Hibiki Kobayashi's photographs of tribes on the verge of extinction are startlingly candid, equal parts wake up call for humanity and record for posterity. Kobayashi appropriates Avedon's use of a spare white background to compelling effect. The portraits, some of which are full-body to display garb and body adornments, show humans who evince not a shred of self-consciousness of guile. Tribe begs an interesting question: Is it better that indigenous people should adapt to modern ways and begin to resemble us, or die out as they always lived, true to their own ways? ★O.T Paper

La tres belle mise en pages de Fabien Baron accuse cette impression de calme, et la preface de Peter Beard tente de l'expliquer. Avant d'etre reunies aux editions Assouline, ces photos firent l'objet de nombreuses expositions internationales, Hibiki Kobayashi ayant commence ce travail de longue haleine en l990. Paris vogue

そして今も尚、多くの人々を惹きつけてやまないのは何故だろうか? それはいみじくもピーター・ビアードの言葉から察せられるのではないだろうか?

小林響の作品には、読者にフェアであることについて考えさせる何かがある。それは、寛大さ、純粋さ、平壌さ辛抱強さ、そして他者への思いやりといった、複雑な人間の交わりのなかで、あたたかく受け入れられるものすべてであり、現実に今、この地球上で起きている事柄とは正反対の事柄である。小林響の被写体となる人々は、みな自分達の殻の外に無言のまま差し出される。そのとき、人々の瞳のなかには、重要だが捕えようのない意識、はるかな意識のつながりが見て取れる。読者は、そんな人々の写真を通して、流れのゆっくりとした、非常に示唆に富んだ経験を心に刻んでいくのである。そして、あらゆる年齢層、性別、部族、あるいは純血も混血も、豪華さも質素さも、そういったすべてをカメラのレンズを通して目の当りにするのである。 ピーター・ビアード(tribe 序文より)

1990年10月、私はバンコクの病院のベッドの上にいた。体に数箇所の裂傷と骨折、全身打撲でまったく身動きできない状態だった。アフリカへの飛行機の乗り継ぎのために初めて訪れたタイで、入国して間もなく私は交通事故に遭遇してしまったのだ。私のアフリカへの撮影旅行計画はあっけなく頓挫してしまった。全身にほとばしる激痛に悶えながら私は何度も自問した。これは現実なのか?夢ではないのか? しかし、私はこの時ある予感を感じていた。私自身の運命に何かとてつもない変化が起きているのではないか? 小林響

この時、小林響は二者択一を迫られていた。日本に帰国して治療に専念するか、または体が回復するのを待ってそのままアフリカへ飛ぶか? 二年後の1992年、モナコで開催された国際モード写真フェスティバルに小林響は日本人として初めて選出された。ピーター・リンドバーグ、スティーヴン・マイゼル、ハーブ・リッツ、ブルース・ウエーバー、ヘルメルト・ニュートン、この時小林響とともに選出されたフォトグラファーは世界の錚々たるファッションカメラマン達だった。世界で一躍脚光を浴びる存在となった小林響は1993年ニューヨークへ向かった。それはファビアン・バロンに会うためだった。モードフェスティバルの選考委員の一人だったファビアン・バロンはモードフェスティバルのフォトグラファーの選考の時に世界的にはまったく無名だった小林響の作品を強く推薦したと言われていた。ファビアン・バロンは初めて会った小林響に言った。「もし、これらの写真を写真集にできるならば、素晴らしいものが出来上がると思うよ。」この言葉に再び小林響は覚醒したのだった。ここから小林響のおよそ6年にも及ぶtribe撮影行が再スタートするのだった。アジア、中近東、アフリカ、南米、ニューギニア、小林響をここまで突き動かさせたものは一体なんだったのだろうか?